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今日も飲まないで過ごせた。
悲惨な状況であるが,今の私が家族に対して「飲まないでいること」以外に何ができるのだろう? 昨日からの不眠や精神的な疲れもあって,昼過ぎの用事を済ませると夕方まで,ソファーで寝てしまった。 夜にはAAに出席して,今の自分の置かれている状況を素直に話した。 さすがにこれだけ悲惨な状況を人の前で話そうかどうかと迷ったが,やはり話した。 だって誰がこんな話を聞いてくれるというのか? 誰がこんな惨めで希望のない,悲惨な話を誰が聞いてくれるのか? 今の私には話を聞いて貰えるだけでもありがたい。 みんな黙ってこんな私の惨めな話を聞いてくれた。顔見知りも少しだけ出来てきた。 初めてAAに来たときは,毎日毎日こんな暗い話を聞かされてよく続くなぁと思ったが,自分自身の体験を一つ一つ掘り起こしていけば,結局皆が似たような経験をしている。メンバーが自分の鏡であるという意味が少しだけわかるような気がした。 実は不安でどうしようもなくて,明け方「いのちの電話」に電話してみた。でもどの県の「いのちの電話」に架けても話し中で繋がらない。多くの人がそれぞれに深刻な悩みを抱え,誰にも相談できずに,何とか今日の命をつなごうと助けを求めて,何度も何度もコールしているのだろう。本当に生き辛い思いをしているのは私だけではないのだ。 誰ともコミュニケーションできないことはやはり辛いことだ。 自分の正直な気持ちを吐露できないことは辛いことだ。 話を聞いて貰えるだけでも嬉しいと思える人だっているのだ。 このブログにレスポンスして下さることだって,とても有り難いことなのだ。 吾唯足知。竜安寺の「知足の蹲踞」に刻まれている禅の言葉。 ずっとわかっているようで何もわかっていなかったのだ。 妻や子供たちにも随分と迷惑をかけてしまっていたのだろう。私の孤独や痛みなど,本当はたいしたものではないのかもしれない。こちらに来てから夫婦喧嘩もたくさん子供たちに見せてしまった。いくら自分が落ち込んでいたからと言って,思春期の子供たちにそんな姿を見せるべきではなかったのだ。優しく頼りがいのある夫であり父であるべきだったのだ。しかし私は一時の陶酔と忘却を求めてアルコールに逃げた。酔った姿を見せまいと,自室にこもって迷惑を掛けていないと思っていたが,そうではなかったのだ。 今は素面になりその埋め合わせをしたいと思うが,それを伝えることさえできない。自分では迷惑を掛けていないつもりだったが,どうやらそうではなかったようだ。今頃になって気づく己の愚かさを嘲笑する。 正直今からどう転んでいくのかはわからない。けれど今はただ待つしかないのだ。 こんなに惨めな自分と本気で向き合うのも初めてかもしれない。 これまではいかにして出世するか,キャリアアップするか,経済力を持つか,名誉や権力を獲得していくか・・・そんなことに腐心していた。今でもそれが悪いとは思わない。上昇志向があることはよいことだ。一度きりの人生,卑屈である必要はない。 しかしプライドばかり高く,人の痛みを理解できない,思いやりのない,優しさの欠けた愚か者は思い切りぶん殴られる必要があったのだ。 己の愚かさ,弱さ,傲慢,利己主義,思い上がりといった性根を叩きなおすしかない。でもその前に,正直に己と向き合う必要があるだろうと思っている。特に自分の魂の醜さと真正面から向き合う必要があるのだ。 ただ嬉しかったこともあった。昨日実家に寄って父母と話すことができたことだ。父母にも迷惑を掛けた。これまで入院前後から,音信不通の状態が続いていた。父母でさえ私と会うことを避けていた。それでもずっと心配してくれていたようだ。 年始ぐらいから春先まで,私の精神的混乱によって随分多くの人に心配と迷惑をかけてしまっていたようだ。 特に春先はほとんど記憶がないくらい,混乱した状態だった。アルコールもその大きな要因だった。なぜそうなってしまったのかを,老いた父母は理解してくれていた。私の痛みを理解してくれていた。あんたのせいだけじゃない。いろんなことが重なって,こうなってしまったんだと励ましてくれた。 今は一日を一歩ずつ歩むほかない。ただ飲まないこと。己と向き合うこと。 そして社会復帰できたら,今までの私にはできなかったが,弱い人たちの話をゆっくりと聴いてあげたいと思う。偉そう上からアドバイスするのではなく,一人の人間としてただその痛みを聞いてあげるのだ。そうなりたいと思う。 にほんブログ村 にほんブログ村
by tototo88888
| 2013-07-17 23:11
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